8・7
今日は他寺院の施餓鬼
 皆様、大変お久しぶりです。今日はやっと更新できました。今日は他寺院の施餓鬼(せがき)供養があり、午後から出席いたしますので、午前中に更新しようと思いました。やはり小まめに更新しないと忘れられそうですね。今日の施餓鬼供養は餓鬼に施すという意味です。「餓鬼」の世界は、生前に慳貪(けんどん)の心(物事に惜しみケチで欲張りなこと)ばかり旺盛で、他の迷惑を省みずに自分だけ得をしようとした人が、餓鬼の世界、餓鬼道に堕ちるとされています。一度、餓鬼道に堕ちると、どんなに責め苦がつらくても、終始生かさず殺さず、その責め苦は自らの行いを原因とするものであって、どんなに空腹であっても飲むことも、食べることも許されません。供養の為のお墓の水のほんの一滴を口にできるかできないかという責め苦を味わい続けなければならないのです。その昔、お釈迦さまの弟子の阿難尊者(あなんそんじゃ)が餓鬼に短命を宣告され『餓鬼に食べ物を施せば(施食…せじき)必ず救われる』と告げられ、その通りにすると阿難尊者の命が延び、餓鬼も救われたという伝説から、現在の「施餓鬼会(せがきえ)」が始まったと言われています。餓鬼への供養には、施餓鬼壇には水呑み(おんじき、ご馳走のこと)を、墓前にお塔婆をお供えします。その塔婆は功徳により餓鬼にとっての食べ物、飲み物に変わるのです。生前にお墓を建てられた方でも、誰にでもご先祖様がいらっしゃるわけですから、お塔婆をお供えして、ご供養することはとても大切なことと言えます。     そして、自業自得により餓鬼道に堕ちてしまった人々に、少しだけでも食べ物を与える…。日々忙しく生きている私たちがほんのちょっとの時間を割いて彼らに目を向けて差し上げる。私たちはそんな心の余裕、豊かさを持ちたいものですね。 今日の天気